120年以上前の明治33年(1900年)、廃棄物の処理に関する わが国最初の法律である「汚物掃除法(おぶつそうじほう)」が制定されました。
この法律の最大の目的は、公衆衛生を向上させ伝染病の流行を予防することにありました。
当時、わが国は、明治維新(1868年)以降の外国との貿易の拡大や都市への人口の移動にともない伝染病、特にコレラの流行に苦しめられてきました。
特に明治10年代には、たびたびコレラの大きな流行があり、その死者数は後年の日清、日露戦争におけるわが国の戦死者数をも上回ると言われています。
また、法律制定の前年である明治32年には神戸港からペストも上陸し流行しました。
このような状況のもと、伝染病の蔓延を防止するため、明治30年の伝染病予防法に続いて、明治33年には海港 検疫法が制定され、わが国の防疫体制が強化されました。
そして、同じ明治33年には、汚物掃除法とともに旧下水道法が制定され、感染源対策として、ごみやし尿の処理体制の整備が図られました。
このように汚物掃除法は伝染病対策の一環として制定されましたが、汚物として「塵芥(ごみ)、汚泥汚水、  し尿」を定義し、(排出者である)土地所有者等に汚物を清潔に掃除することを課すとともに、集められた汚物に ついては基本的には市町村による処理を義務付けるなど、現在に至るわが国の廃棄物処理の基盤となる仕組みが 盛り込まれました。